50th Anniversary愛知県鉄構工業協同組合50周年記念ー 26 ー 組合の前身である「愛知県鉄構工業会」がスタートした。当時の参加会員数は147社。7月には全国鉄構工業連合会が発足。当時は、物価が高騰したことで、「鉄よこせ運動」(結果として、各メーカーから約30万tの緊急出荷が実施される)が発生し、通産省や高炉・電炉メーカー等への陳情活動も展開。 当時、政府は財政拡大から一転して総需要抑制策(前年度に第4次中東戦争の勃発で第一次オイルショックが発生したことが大きく影響)の大不況を迎えることとなり、工業会として、この難局を乗り切るために、任意組織をあらため「協同組合」へ法人化するための準備に入った。 名鉄グランドホテルで「組合創立総会」が開催される。設立発起人は磯野氏、城田氏、立松氏、石崎氏、鈴木氏、縣氏の6氏が選出され、磯野氏が代表となる。当時の組合員数は131社。初年度事業として、共同購買、年末転貸貸付金、溶接講習会の3点重点事業とした。共同購買は、安定した価格での材料購入を目的としたもので、組合員の利用者数は多かった。また、溶接講習会では、当時がリベット接合から溶接接合への転換期であり、組合員の関心が高く、教育事業としての意味合いも強く、重要な位置を占める事業となった。この年、全構連が社団法人に組織変更している。 全国鉄構工業連合会主催の「不況突破大会」が東京で開催された。これは、オイルショック以降、需要抑制策などで鉄骨業界の不況色が強まる中、実施されたもの。こうした不況の中、組合員間の団結力や結束力が高まり、共同購買の利用者が増加。また、溶接技術取得のための各種講習会や玉掛・超音波関連の勉強会も開催するなど、とくに溶接資格者の取得が300名を突破。この年の10月、県の行政が「認定事務取り扱い要領」を発令し、組合にとって「認定工場時代」の幕開けとなった。当時、鉄骨加工工場として、15工場が誕生した。 全構連に「不況対策特別委員会」が設置される。当時、政府は依然として低迷を続ける経済立て直しのため、公共投資など多様な景気浮揚策を講じたが、深刻な状況が変化することはなく、経済成長率が目標を大きく下回った。この特別委員会では関係先への要望点の6項目をまとめた。①現行受注価格の大幅な引き上げ②契約書のないものは着工しない③鋼材の購入代金は前払い金で受領する④工場にある製品の出来高を認めさせる⑤手形払いは90日以内とし、金利は元請け負担とする⑥建設省計画局通達「下請け代金の適正化」の遵守となった。全構連として、国会に「経営安定化」を請願した。この年は、転廃業や倒産が増加。組合員数は143社となった。ただ、こうした厳しい環境下においても、品質適正化や経営安定化に関するおもな事業を着実に展開。講習会に至っては年間22回実施。 大手の組合員にも倒産が発生し、共同購買事業が頓挫してしまったケースも露呈。組合員数は141社に。そんな中でも、明るいニュースもあった。県立高校の体育館で分離発注が実現。工事名は西春高校体育館。請負業者は宮地工業で鉄骨は70t。教育事業として初の積算講習会を実施。68名が参加。これに加えて、半自動溶接技術、建築鉄骨工事技術指導者の各講習会が実施され、237名も参加。 この年、新耐震設計への移行により、前倒しの着工が増加。県内の着工面積が1380万㎡を記録。ただ、全体では鉄骨構造の比率が約40%に留まった。分離発注の2号物件。豊田北高校体育館鉄骨工事。請負企業は名西鉄構で68t。教育事業として、溶接工技量向上など、溶接技術、技能に関する講習会、免許の書き換えなど管理のすべての窓口を組合が行ったことで、資格者数が大幅に増加。また、懇親を深めるために魚釣りやボーリング大会なども実施。そのほか、国の出先機関、県、名古屋市など各市町村と建設業者・設計事務所等へ陳情活動も実施。全構連が「鉄構業標準化推進報告書」を発刊。 この年は認定の転換期。全構連が翌年56年に建設大臣認定に移行することを受けて、当組合も同認定制度を採用していくことを決定。従来の県認定に対応しながら、審査および実態調査のための審査委員会を設置した。県認定は55年度で幕を閉じたが、スタートしてから、70社が県認定を取得するに至った。このことは、結果として組合員の技能・技術向上にも寄与し、建設大臣認定制度への移行をスムーズなものとした。教育事業活動として、溶接工技量資格検定試験に273名、超音波で13名が参加。また、県単独で実施していた生命共済事業も全構連の事業へと移行した。全構連では「共済制度」が発足し、鋼構造出版との共催で「鋼構造展」を開催。第1回鉄構管理技術者講習会も始まった。 鉄骨構造が新耐震設計に転換する時期にあたり、建設省が6月1日付で告示第1103号を発令し、高度の品質を確保しうる条件を定めた同告示第2号の規定に全構連認定工場が該当するとの認定がなされ、ここに建設大臣認定が誕生し、全国で延べ1690社の工場がその認定を取得した。当組合ではこのうち、64工場が認定取得に至った。教育事業費が前年度比2.4倍となった。これは、建設大臣認定になったことを受けて、組合員技能・技術取得などが最重点課題と位置づけられ、取得へ向けた予算が倍増する結果となった。おもな講習会は積算・超音波・建築鉄骨工事・鉄構製作管理技術・溶接学科など。 経済全般の低迷感が定着し、住宅、設備関連投資が不振。鋼材価格が値下がりしたため、鉄骨受注単価もその影響を受け、切り下げ要求が高まり、材料安・製品安の局面を迎えた。県内の着工統計面積も3年連続でマイナス。一方、昨年度に建設大臣認定がスタートしたことを受けて、組合員数が増加し、計160社を記録。また、認定工場も78工場となった。また、事業では、教育事業の活性化に加え、あらたにH・M・Rランク別の認定工場部会を設置。委員会組織の拡充として、組織を7つとして常任理事会のほか、技術委員会、市場調査委員会、企画広報委員会、苦情処理委員会、認定委員会、検査委員会となった。対外活動として、県建築士事務所協会と交流会も開催。そのほか、鉄骨受注価格下落防止策として、鉄骨の共同受注の検討も事業計画としてとりあげられた。 3年連続で建築着工統計がマイナスとなり、組合員は経営圧迫を強いられる状況に陥った。経営安定のためには何をなすべきか。これが今年度の大きなテーマとなり、各支部において、さまざま解決策を探る討論会が繰り広げられた。その結果、見積もり物件申告、製品適正化が不可欠との意見が多く聞かれ、逐次具体的な方法を実現していくことを確認した。当時、議論された内容が鋼構造ジャーナルに記載。「鋼材高に反し、鉄骨受注単価の下落傾向が続く中、組合ではもはや一刻の猶予もないとしてとくに認定工場が団結して最低価格の維持にまず乗り出した。内容は加工費が工場物件でトンあたり6万円、ビル物で8万円を目指す」。また、県議会や名古屋市議会へ公共工事の地元発注や分離発注などを請願。適正品質化時代の到来で、組合員数も増加し、168社を記録。今年度の教育事業関連講習会では、延べ683名が参加。また、昨年度に設置したH・M・Rの各部会が定着した。全構連では検査制度を実施。 建築着工統計が、前年度より80万㎡増え、505万㎡を記録。 S造構造の増加が目立った。また、認定工場数が全体で108工場となり、認定制度開始以来、初めて100工場を突破した。ただ、景気概況としてはまだまだ厳しく後半に入って着工面積の上昇は見られたが、回復を実感するまでには至らず、企業倒産も増える形となった。県内にH部会はあったが、情報交換を中部4県が密にして共存共栄を図っていくべきとの意見が多数出されたことから、中部地区H部会の発足が決まり、合同で運営することとなった。また、適正製品・適正価格を実現するためには、経営安定事業と並行して検査制度の必要性が高まり、次年度実施を目指し、同制度の設置と検査パトロールの検討を開始した。全構連では経営対策特別委員会が設置された。昭和48年度1973年度昭和49年度1974年度昭和50年度 1975年度昭和51年度 1976年度昭和52年度1977年度昭和53年度 1978年度昭和54年度1979年度昭和55年度1980年度昭和56年度1981年度昭和57年度1982年度昭和58年度1983年度昭和59年度1984年度祝 辞特 集歩み/昭和48〜59年度名 簿協賛広告資 料
元のページ ../index.html#28